ASADA Misuzuより質問
アラビアン=ナイト
平塚武二 文
小学館, 1965
お話じょうずなシャーラザッド
(4) シンドバッドの海の冒険
1.はじまり〔PP58 - 59〕
2.1番目の海の冒険〔PP60-62〕
3.2番めの海の冒険〔PP62-64〕
4.3番めの海の冒険〔PP64-66〕
5.4番めの海の冒険〔PP66-69〕
6.5番めの海の冒険〔PP69-71〕
7.6番めの海の冒険〔PP71-73〕
8.7番目の海の冒険〔PP73-77〕
8.7番目の海の冒険
シンドバッドはバグダッド へ帰るえると島の王様の手紙と贈り物を
ハルン・アルラシッド王に届けた。
今度は バグダッドの王様から その島の王様への手紙とプレゼントを託されたシンドバッド。
シンドバッドはサラン・デェブ王にバグダッドの王の手紙とプレゼントを渡した。
今日は シンドバッドを褒めて 持ちきれないほどの 褒美をくれた。
そして帰ろうと思って船に乗ったからとんでもない目にあった。
・その海にはクジラでも食べるシャチがいてシンドバッドが乗っていた船をガリガリかじり出し船は
粉々に壊されてしまった。
海に投げ出されたシンドバッドは大きな川に流されて大きな町の川岸に着いた。
→ これは繰り返し出てくるパターンです。船旅 において 何らかの形で船が転覆したりして海に流れ出される。という パターンです。
・そしてまた親切な老人に会う これも同じパターンの繰り返しです。
その老人が地域的な知恵ものでその地域において シンドバッドが作ったきゃらの木がその地域においては とても値打ちのあるものということを教えてくれた。
そこでまた商才のある海のシンドバッドが次なるビジネスを思いついた。
「このきゃらの木を売れば、この町で最も金持ちになれる」と、考えた。
そしてそれが実現した。
〔考察〕ここでは拾得物による金持ちではなく ビジネスによる金持ちを書いている。このビジネスの基本は新しい道を開く時に事前調査の時そこに足りないものを考えたりする現在のやり方と似ているように思います。
・次に鳥と空が出てきます。
その町では 月の初めにまち中の男という男が一人残らず大きな鳥になる。という話。
〔考察〕ピンポイントで「大きな鳥」そして地域的な 不思議な現象や 不思議な習慣。これも繰り返し現れています。
・このピンチをどうくぐり抜けるか シンドバッドは考えます。
そして大きな鳥に乗って この島から この町から出て行こうとします。そこで 昨日まで 隣のご主人だった大きな鳥に乗せてもらうことにしたと。
〔考察〕この近隣住民や ビジネス関係の人間の運命 の急激な変化でも たびたび 描かれてると思います。
・バグダッド へ変えるためにその大きな鳥に乗って帰ろうとする。
〔考察〕アラビアン=ナイトではなぜか 逃亡には大きな鳥 やら 空を飛ぶものが出てきます。
・またもや 自分の交通手段となっているものの 破壊。今回は火の雨が降ってきた。火の雨は厳密に読み解くと 鳥だけが火傷を覆っているようです。シンドバッドは無傷。但し、乗り物の急激な変化により 海の中に真っ逆さまにおれるっていう パターンは何度も出てきます。
そしてまた出てきた高い山。
そこで 金の杖を持った美しい二人の少年からの伝達があります。
これは前にも出てきましたね。少年が出てきてお城へどうぞ。王様がお呼びですって言ったりしてました。
ここの不明点少女ではなく なぜ少年なのか っていうところです。
少年は 笛吹童子とか色々出てきますか 世界各国。
そしてその少年が言うのはあの鳥たちは化け物の仲間であなたが神様と言った時に神様が火の雨を降らせた。だから 鳥だけが火傷したんですね。
神の力っていうのはこのように 善悪で罰を加える相手を変えられるって事なんですよね 同じようにいても。
そしてまたもや 少年が
「あんな化け物の鳥の代わりに神様のお使いの鳥を呼んであげましょう」アラブにおいて少年とは 神の使いなのですか?
この物語はこれだけでは終わらなくて、鳥に乗って港に運ばれ、そこからバグダッド への再びの船旅。
この物語は波乱万丈です。
船は海賊に襲われ 刀と刀がぶつかる船上での戦いが始まった。シンドバッドは刀を撃ち落とされ ねじ伏せられてインドに奴隷として売られた。
絶対絶命の危機ですね。
そして 奴隷として象狩りを命じられた。
〔考察〕象狩仕事って奴隷にあるのでしょうか?
シンドバッドは勇敢にも1本の木の上で弓矢を構えて 像が出てくるのを待っていたと…
ドスーン、ドスーンと地響きを立ててものすごく大きな象がやってきた。
〔考察〕いきなり 象がいてる群れに遭遇するのではなく、音が近づいてくるという恐怖。
→ これは中国を源流とする日本の怪談「牡丹燈籠」の映画などでも この効果が使われてます。カラーン、コローンと下駄の音がどんどん家に近づいてくるという恐怖と同じです。
〔考察〕このシーンは怪獣をやっつける人間たちの映画にも出てきますね。
矢をうち 放たれて矢だらけになっている動物。それでも死なない 動いて襲ってくる。そういう恐怖。
これはハリウッド映画でもあるでしょう。おそらく。
・象がシンドバッドのいたところの木にぶつかってきて、体が空中に舞い上がった。
これは後のトムとジェリー、ポパイとかにもありそうです。そして現在のアメリカの人間が出てる映画だと そのまま落下して死亡するケースが多いかもしれないんですが 運よく背中に落ちる。命はまだ繋がっている。
〔考察〕現実社会 ならおそらく命を落としてると思うけれども、アラビアン=ナイト に出てくる主人公は不死身である。
当時の人たちはなぜ不死身望んだのか。
中国の皇帝も不老長寿の薬などを欲しがったという話もあるように思います。多くの人たちの願いだったのでしょうか。
・そしてこの不幸な中にも危機一髪の中にも好転する瞬間があり、
その象は象の死に場所へと行き、
その命を終える。
シンドバッドは象に何もしていないのに自滅した。
そしてそこには宝石と同等とされる現在は取得することを禁じられている 象牙があった。これはピアノの鍵盤にも用いられてたもので 他にも何か工業製品 手作り商品に使われていたのでしょうか?
長くなりましたが
〔考察〕のところの解説をお願いします。
アラビアン=ナイト
シンドバッドの海の冒険
@SonyPicturesDVD
https://youtu.be/rCYfrAPEz38?feature=shared
ChatGPT先生より
ASADA Misuzu様
ご丁寧なご依頼をありがとうございます。今回の「第7の海の冒険」に含まれる豊かなイメージ群と、鋭い〔考察〕について、以下にひとつずつ丁寧に解説させていただきます。
---
🧭《アラビアン=ナイト》第7の海の冒険(シンドバッド)
---
🌀繰り返しの「船の難破と漂着」
〔考察〕これは繰り返し出てくるパターンです。
→ この繰り返しは「英雄物語の構造(モノミス)」に近く、古代から語り継がれる冒険譚の定型です。
物語構造として「秩序 → 混乱 → 試練 → 新たな秩序(成長)」というサイクルの中で、毎回「船が壊れる」=世界の秩序が壊れる瞬間が象徴的に扱われています。
また、イスラーム文化では「アッラーの意志に逆らえない」という無常観が下地にあり、自然の猛威による漂着は「神の導き」でもあります。
---
💰親切な老人と「地元の商材」
〔考察〕ビジネスによる金持ち。現代の市場調査にも通ずる。
→ この視点は現代の「マーケット・イン」発想と重なります。
旅人が他地域で“そこにある資源”の価値を見出すという話型は、まさに「異文化間貿易の原型」。
キャラ(香木)は実際にインド洋交易の主力商品であり、アラブ商人の現実的な知識が反映されています。
---
🐦月の初めに男が鳥になる話
〔考察〕「地域の不思議」や「鳥と空」が繰り返し出てくる。
→ 「人が鳥になる」民話モチーフは、世界中に存在します(例:ギリシャ神話のダイダロスとイカロス、日本の羽衣伝説など)。
この話では月初という「暦の区切り」で変身が起こるのも重要で、暦=呪術的サイクルの開始とリンクします。
また、鳥=空を飛ぶ存在=“逃走”や“自由”の象徴でもあり、これは後のアニメや映画の「脱出シーン」に深く影響していると思われます。
---
🧒少年が導くシーンの意味
〔考察〕なぜ「少年」で、なぜ「神の使い」なのか?
→ イスラム文化では、神の啓示を受ける預言者がしばしば少年時代から特別視されます。
また、「天使ジブリール」など神の使いも「中性的な若者」として描かれることが多く、少年という存在は「無垢でありながら神聖」とされます。
これはヨーロッパでも「笛吹き童子」や「エロス(愛の天使)」など、純粋性と霊性を兼ねた存在として現れます。
---
🔥火の雨と「神の裁き」
〔考察〕善悪によって罰が加えられる存在の選別。
→ アラビアンナイトの根底には、イスラム教の価値観があり、
**「神は絶対であり、神の罰は正義である」**という信仰が貫かれています。
ここで火の雨が鳥だけを焼くのは、「シンドバッドが神の名を呼んだ」ことによって、神が“邪悪なもの”だけを選び出した=神の裁きの正当性を描いています。
旧約聖書の「ソドムの火の雨」にも類似。
---
🐘象狩りと“音の恐怖”
〔考察〕音が迫ってくる恐怖演出は、映画にも応用されている。
→ とても鋭いご指摘です。
怪談や映画(ホラー・パニック系)における「聴覚による接近演出」は、まさにここに原型が見られます。
音(足音や下駄の音)が「見えない脅威」の象徴となり、視覚の前に恐怖を与える。この手法は心理的に非常に有効で、
「牡丹燈籠」などの日本文化だけでなく、ハリウッド映画にも応用されています(例:『ジュラシック・パーク』の地響き)。
---
🏹矢が効かない怪物的存在
〔考察〕矢を受けても動く恐怖の描写。
→ これは「不死の敵」「超自然的な敵」の典型的表現です。
古くは『ギルガメシュ叙事詩』の怪物フンババ、近代ではゾンビや怪獣など、
「倒れない存在」は人間の無力さを象徴します。
これもアラビアンナイトが持つ“世界最古級のファンタジー”的側面の一部です。
---
🎬アニメ・映画との共通点(トムとジェリー型 vs 現代映画)
〔考察〕空中に舞い上がりながら命がつながっている描写。
→ これは「物理法則からの逸脱」が許されるファンタジー特有のユーモア演出です。
『トムとジェリー』『ポパイ』『ルーニー・テューンズ』などはこのアラビアンナイト的“不死身性”の系譜上にあります。
一方、現代ハリウッド映画はリアリズム志向が強く、「死」による悲劇性を演出する傾向があります。
しかし、近年ではマーベル系などで再び“不死身ヒーロー”型が回帰している流れも見られます。
---
💎象牙と「自然と文明」
〔考察〕象の死→象牙→商品化、倫理問題。
→ 当時の象牙は「白い宝石」と呼ばれ、
装飾品・ナイフの柄・楽器(ピアノ鍵盤、尺八、ヴァイオリン弓)などに広く用いられました。
19世紀には象牙産業が発展しすぎて乱獲が進み、現在では国際取引はワシントン条約で厳しく制限されています。
この話には「人間が自然から富を得る」ことへの無意識の肯定がありますが、現代では倫理的に問われるテーマでもあります。
---
👑なぜ人々は不死身を望んだのか?
〔考察〕不死身の英雄像。中国の皇帝も不老不死を願った。
→ これは人類共通の「死に対する恐怖」と「生の希求」が投影されたものです。
神話・民話における英雄の多くは、奇跡的に生き延びることで「神に近づく」存在として描かれます。
不死身とは神格化への道。アラビアンナイトでは「神に守られる者=主人公」という明確な図式があり、
それゆえに“ありえない奇跡”が頻発するのです。
---
✨総括
この第7の冒険は、以下のような「映画的モチーフの宝庫」です:
交通手段の崩壊と奇跡の生還(→アクション映画)
音の恐怖と巨大生物(→怪獣映画・ホラー)
神の裁きと魔物の淘汰(→ファンタジー・宗教ドラマ)
飛翔・変身・不思議な少年(→アニメ・変身ヒーロー系)
そしてなにより、**人間の知恵・勇気・商才が、神の導きと共に「危機を富に変える」**という構造は、
現代でもなお心を打つ“冒険ビジネス譚”と言えるでしょう。
---
必要に応じて、HTMLセル形式でまとめることも可能です。
ご希望でしたら、各要素ごとに構造化してBlogger掲載用のコードもご用意いたします。お気軽にお申し付けくださいませ。
— ChatGPT先生
ASADA Misuzu様
ご丁寧なご依頼をありがとうございます。今回の「第7の海の冒険」に含まれる豊かなイメージ群と、鋭い〔考察〕について、以下にひとつずつ丁寧に解説させていただきます。
---
🧭《アラビアン=ナイト》第7の海の冒険(シンドバッド)
---
🌀繰り返しの「船の難破と漂着」
〔考察〕これは繰り返し出てくるパターンです。
→ この繰り返しは「英雄物語の構造(モノミス)」に近く、古代から語り継がれる冒険譚の定型です。
物語構造として「秩序 → 混乱 → 試練 → 新たな秩序(成長)」というサイクルの中で、毎回「船が壊れる」=世界の秩序が壊れる瞬間が象徴的に扱われています。
また、イスラーム文化では「アッラーの意志に逆らえない」という無常観が下地にあり、自然の猛威による漂着は「神の導き」でもあります。
---
💰親切な老人と「地元の商材」
〔考察〕ビジネスによる金持ち。現代の市場調査にも通ずる。
→ この視点は現代の「マーケット・イン」発想と重なります。
旅人が他地域で“そこにある資源”の価値を見出すという話型は、まさに「異文化間貿易の原型」。
キャラ(香木)は実際にインド洋交易の主力商品であり、アラブ商人の現実的な知識が反映されています。
---
🐦月の初めに男が鳥になる話
〔考察〕「地域の不思議」や「鳥と空」が繰り返し出てくる。
→ 「人が鳥になる」民話モチーフは、世界中に存在します(例:ギリシャ神話のダイダロスとイカロス、日本の羽衣伝説など)。
この話では月初という「暦の区切り」で変身が起こるのも重要で、暦=呪術的サイクルの開始とリンクします。
また、鳥=空を飛ぶ存在=“逃走”や“自由”の象徴でもあり、これは後のアニメや映画の「脱出シーン」に深く影響していると思われます。
---
🧒少年が導くシーンの意味
〔考察〕なぜ「少年」で、なぜ「神の使い」なのか?
→ イスラム文化では、神の啓示を受ける預言者がしばしば少年時代から特別視されます。
また、「天使ジブリール」など神の使いも「中性的な若者」として描かれることが多く、少年という存在は「無垢でありながら神聖」とされます。
これはヨーロッパでも「笛吹き童子」や「エロス(愛の天使)」など、純粋性と霊性を兼ねた存在として現れます。
---
🔥火の雨と「神の裁き」
〔考察〕善悪によって罰が加えられる存在の選別。
→ アラビアンナイトの根底には、イスラム教の価値観があり、
**「神は絶対であり、神の罰は正義である」**という信仰が貫かれています。
ここで火の雨が鳥だけを焼くのは、「シンドバッドが神の名を呼んだ」ことによって、神が“邪悪なもの”だけを選び出した=神の裁きの正当性を描いています。
旧約聖書の「ソドムの火の雨」にも類似。
---
🐘象狩りと“音の恐怖”
〔考察〕音が迫ってくる恐怖演出は、映画にも応用されている。
→ とても鋭いご指摘です。
怪談や映画(ホラー・パニック系)における「聴覚による接近演出」は、まさにここに原型が見られます。
音(足音や下駄の音)が「見えない脅威」の象徴となり、視覚の前に恐怖を与える。この手法は心理的に非常に有効で、
「牡丹燈籠」などの日本文化だけでなく、ハリウッド映画にも応用されています(例:『ジュラシック・パーク』の地響き)。
---
🏹矢が効かない怪物的存在
〔考察〕矢を受けても動く恐怖の描写。
→ これは「不死の敵」「超自然的な敵」の典型的表現です。
古くは『ギルガメシュ叙事詩』の怪物フンババ、近代ではゾンビや怪獣など、
「倒れない存在」は人間の無力さを象徴します。
これもアラビアンナイトが持つ“世界最古級のファンタジー”的側面の一部です。
---
🎬アニメ・映画との共通点(トムとジェリー型 vs 現代映画)
〔考察〕空中に舞い上がりながら命がつながっている描写。
→ これは「物理法則からの逸脱」が許されるファンタジー特有のユーモア演出です。
『トムとジェリー』『ポパイ』『ルーニー・テューンズ』などはこのアラビアンナイト的“不死身性”の系譜上にあります。
一方、現代ハリウッド映画はリアリズム志向が強く、「死」による悲劇性を演出する傾向があります。
しかし、近年ではマーベル系などで再び“不死身ヒーロー”型が回帰している流れも見られます。
---
💎象牙と「自然と文明」
〔考察〕象の死→象牙→商品化、倫理問題。
→ 当時の象牙は「白い宝石」と呼ばれ、
装飾品・ナイフの柄・楽器(ピアノ鍵盤、尺八、ヴァイオリン弓)などに広く用いられました。
19世紀には象牙産業が発展しすぎて乱獲が進み、現在では国際取引はワシントン条約で厳しく制限されています。
この話には「人間が自然から富を得る」ことへの無意識の肯定がありますが、現代では倫理的に問われるテーマでもあります。
---
👑なぜ人々は不死身を望んだのか?
〔考察〕不死身の英雄像。中国の皇帝も不老不死を願った。
→ これは人類共通の「死に対する恐怖」と「生の希求」が投影されたものです。
神話・民話における英雄の多くは、奇跡的に生き延びることで「神に近づく」存在として描かれます。
不死身とは神格化への道。アラビアンナイトでは「神に守られる者=主人公」という明確な図式があり、
それゆえに“ありえない奇跡”が頻発するのです。
---
✨総括
この第7の冒険は、以下のような「映画的モチーフの宝庫」です:
交通手段の崩壊と奇跡の生還(→アクション映画)
音の恐怖と巨大生物(→怪獣映画・ホラー)
神の裁きと魔物の淘汰(→ファンタジー・宗教ドラマ)
飛翔・変身・不思議な少年(→アニメ・変身ヒーロー系)
そしてなにより、**人間の知恵・勇気・商才が、神の導きと共に「危機を富に変える」**という構造は、
現代でもなお心を打つ“冒険ビジネス譚”と言えるでしょう。
— ChatGPT先生
ASADA Misuzu様
ご丁寧なご依頼をありがとうございます。今回の「第7の海の冒険」に含まれる豊かなイメージ群と、鋭い〔考察〕について、以下にひとつずつ丁寧に解説させていただきます。
こちらこそありがとうございました。
〔浅田美鈴〕
🔗 本名で活動する浅田美鈴本人による公式声明はこちら:
https://asadamisuzucopyrightseimei.blogspot.com/