👳『アラビアン=ナイト』🎓少年文学を“大人の視点”で読むということ(6) アリババと40人の盗賊 1.開け、ごま!

アラビアン=ナイト

平塚武二 文

小学館, 1965

お話じょうずなシャーラザッド


(6) アリババと40人の盗賊

1.開け、ごま!


PP87-92





🎓少年文学を“大人の視点”で読むということ


『少年少女世界の名作文学』のような児童向けシリーズには、

単純な勧善懲悪や冒険のスリル以上に、人間社会の深い構造が隠されています。

その楽しみ方の一つが、現代の日本の刑法と照らし合わせること。

もう一つは、古今東西の似た構図を探すこと。

そうして読み解いていくと、「アリババと40人の盗賊」に描かれる

**“悪人の上前をはねた者の末路”**という構図が、

時代を超えて、国を超えて、今なお繰り返されていることに気づきます。

つまり、人間という存在は——

時代が変わっても、国が変わっても、社会が変わっても、

考えること・恐れること・欲することは変わらない。

だからこそ、こうした物語は読み継がれ、

新しい時代にあってもなお「生きた物語」として生き残っていくのでしょう。


悪の構図は時代も国も越えて繰り返される


──アラビアン=ナイトに見る“制裁劇”の普遍性

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● 世界で行われていた拷問

古今東西、権力が“悪”を定義し、制裁を加えてきた。

中世ヨーロッパでは、異端審問や魔女裁判の名のもとに

火あぶり・水責め・四肢裂断などが法と宗教の下で行われた。

拷問は「真実を引き出す手段」とされ、正義の装いすらまとっていた。

アラビアン=ナイトの盗賊たちもまた、自らの財宝を奪おうとした者をその場で惨殺する。

そこに「裁判」はなく、あるのは暴力による秩序維持だけだった。

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● この項目を日本の刑法に置き換えると


もし「アリババと40人の盗賊」に登場するカシムの行動を

現代日本の刑法で評価するならば、以下の罪に相当する:

不法侵入罪(刑法130条)

窃盗未遂罪(刑法235・243条)

たとえ盗賊の財宝でも、盗みに入れば法で裁かれる。

だが**盗賊団による殺害は「殺人罪」(199条)**であり、

現代では圧倒的に違法である。


📌現代法の原則:どんな悪人であっても「私刑」は許されない。

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● 日本での制裁劇


捉えられた忍者への制裁

江戸時代には、お城に忍び込んだ間者(忍者)は即刻捕らえられ、拷問・処刑されるのが常だった。

「石抱き」「釣責め」「火責め」などの見せしめ刑は、権力を守るための象徴でもあった。

小林多喜二のケース(昭和)

1933年、小説『蟹工船』で知られる作家・小林多喜二は、

特高警察によって逮捕・拷問され、全身が紫になるほどの内出血の末に死亡。

国家が「体制への異物」と見なした者を、法を超えて制裁した現実の制裁劇である。

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● 一度悪の組織に入ると抜けられない構図はアラビアン=ナイトから続いているか?


盗賊団の財宝に手を出したカシムは、

その場で殺され、バラバラにされるという最期を遂げた。

これと同じ構図は現代の詐欺組織・暴力団・闇バイトなどにも見られる:


 一度入ると抜けられない。

逃げようとすれば、口封じに命を狙われる。

「悪」はしばしば内部に法を持ち、裏切りを最も厳しく罰する。

その構造は、アラビアン=ナイトの時代から変わっていない。

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✅ 結論:なぜ今もこの物語が読み継がれるのか?


悪人の上前をはねた者の末路。

それはペルシャからヨーロッパ、日本へと語り継がれ、

時代と国を超えて、人間社会の“構造的恐怖”を映し出す鏡となっている。

だからこそ『アリババと40人の盗賊』は、今も生きているのです。


🧭【補足:カシムの誤算と現代の共鳴】

カシムは確かに盗賊団の頭になろうとはしていませんでした。

彼が望んだのはただ、「弟が見つけた宝を自分も欲しい」という素朴で強欲な動機でした。

しかしその**欲望は、“悪”の世界の内部に自ら足を踏み入れる行為”**であり、

その代償として、命と尊厳のすべてを失ったのです。


原案: 浅田美鈴

アシスタント生成AI: OpenAI ChatGPT先生